私は過去に高体連、いわゆる高校のサッカー部に所属していた。インターハイ、選手権常連、優勝経験もある、いわゆる強豪校の出身だ。
毎年、数十名の特待生が入部する。部員数は100名をゆうに超える。
基本的には特待生、推薦で入部した選手でAチームは形成され、一般入部の選手はずば抜けていないとAチームには抜てきされない。一般入部でも中にはいい選手もいるが、与えられるチャンスの数は明らかに少ない。
優れた選手を集めるだけ集めて、選手を駒のように扱う。高校の場合、指導者=先生 選手=生徒 教える人と教わる人という関係性になる。上からの理不尽な要求に選手は我慢し、必死に要求に答えようとする。
選手の意見を尊重し、一緒に考え、選手を育てていくという考えはそこにはなかった。
要求に答えられない人間にユニフォームを着ることは許されない。
なぜならチームが勝つことが最優先だから。
一部の優秀なチームの核となる選手の意見を尊重することはあってもベンチにいる選手の意見を尊重し、チームに意見を反映させることはない。
なぜならチームが勝つことが最優先だから。
勝つことを優先しているので指導者の考えを押し付ける。そこに、選手の主体性、自主性はない。指導者の考えを押し付けることで選手は考えることをやめる。指示待ち人間になり、ロボットのように動き出し、サッカーに楽しさを見いだせなくなる。
サッカーを教育の一環というのであれば、勝利は二の次。
考えを押し付けるのではなく選手の意見を尊重させ、選手の主体性、自主性を育てることが重要ではないか。
私自身、サッカーを通じ人間的に成長できたかと考えるが、成長できたとは思わない。理不尽なことも我慢する。忍耐力は身についたと思う。
サッカーを好きだと言う気持ちと引き換えに。
プレーヤーとしてどんなことを感じ、どういう考えでいるか。ストロングポイントはここで、こういうポジションでこういうプレーをしたい。練習ではこんな練習をやってこんなプレーを強化したい。選手が自分の考えをしっかり伝えれる環境にあり、指導者は選手の意見をしっかり聞くことが出来、その意見に対ししっかりアドバイスができる。それが教育だと私は思う。
サッカーが上手い下手は関係ない。全ての選手が自主性、主体性を持ち、指導者との間で議論し、アドバイスを受けて成長することが出来れば、将来サッカーを例えやめることになっても、今後の人生に繋がる大きな学びになるのではないかと私は思う。
ももかつ
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